イギリス貴族の生まれで、京都に定住されていた『ベニシア・スタンリー・スミス』がこの度、亡くなられました。
NHK「猫のしっぽ カエルの手」にも出演していた彼女の異色で風変わりな人生を振り返りたいと思います。
日本で彼女の生き方に憧れた方も多い、その不思議な人生とはどのようなものだったのでしょうか?
最初に
京都の大原にある「古民家」に移り住んで、ハーブを取り入れた「英国」風の庭づくりと、伝統を生かした暮らしを伝えていた『ベニシア・スタンリー・スミス』さん。
そんな彼女は、6月21日の午前8時33分頃に誤嚥(ごえん)性肺炎のため自宅で亡くなられました。
72歳という年齢で、葬儀は近親者のみで行われたようです。
風変わりな人生について
ベニシア・スタンリー・スミス(Venetia Stanley Smith)は、1950年に貴族『第2代スカーズデール子爵リチャード・ナサニエル・カーゾン』の三女「ジュリアナ・カーゾン」と、シェークスピア劇俳優を夢見る父「デレク・スタンリー・スミス」の間に生まれました。
また系図をさかのぼると曽祖父の異母兄は、イギリスの外務大臣を務め、またインド副王と総督も務めた『初代カーゾン侯爵(初代スカーズデール子爵)』の「ジョージ・カーゾン」になりますね。
そのため母の実家はイギリスの建築家「ロバート・アダム」が手がけた『ケドルストンホール』と呼ばれるカーゾン家の邸宅でした。
ちなみに、「スカースデイル子爵2世」に男の子がなく、その爵位は1959年に、親戚の家系に引き継がれることになりましたね。
幼少期、からの貴種流離譚
巨匠が手掛ける邸宅に住み、名だたる貴族の一門に生まれた彼女ですが、2歳の時に両親が離婚してしまいます。
また、再婚を繰り返す母「ジュリアナ」によってイギリス国内外をあっちこっちと転居する幼少期を過ごすことに。
6歳からはジャージー島の「セント・ヘリア」の小学校に通い、10歳からは6年間『ヒースフィールド』という寄宿舎制の女子校に行きました。
その後、ロンドンの女子高に進学してから、花嫁学校を経て、19歳の時に母国のイギリスを離れることを決心します。
それからは、『バックパッカー』としてインドまで辿り着き、暫く現地で「グル」(guru:尊師)に付き従いながら生活を送りましたね。
一族の縁なのか、偶然なのかは分かりませんが、「スカーズデール子爵」の血族はまたインドを訪れたことになります。
そして、日本へ
しかし、そんな彼女も長らくはインドにいられなかったようで、1971年には船舶で日本を目指して出航いたします。
彼女の探求心は、おそらく既知や既存の関係があるものには留まることが出来なかったのでしょう。
新天地を目指す。目指したいっという心意気が感じられますね。
その後、彼女は九州南部に渡って、1974年には現地の日本人男性と結婚することになります。
それから、東京や岡山の生活を経て、1978年からは京都の長岡で英会話学校を始めることまでになりますね。
怒涛なばかりの行動力と結果となります。
彼女の活動はさらに燃え上がる
その後、彼女は1992年に、登山家の「梶山正」と再婚します。
そこから、1996年に我々が知る彼女の「大原生活」に移住することとなるのです。
この大原への移住がきっかけとなり、テレビや新聞などのメディアに目を付けられることになります。
これが、最初の注目ですね。
大原の移住と共に、何か打ち込めるものとして、英国の由緒ある「ガーデニング」を始めます。
友人の助言から、ハーブも育て始め、6年後の2002年にはNHKの「わたしのアイデアガーデニングコンテスト」で特別賞を受賞することができました。
この受賞をきっかけに、ハーブ教室も始めるなど、「ハーブ」専門家としても活動を始めることになるのでしたね。
2007年には初めての著書『ベニシアのハーブ便り』を出版し、その後もエッセイ本やDVDなどを次々に発表いたします。
そしていよいよ、NHKで「京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」の放送が始まり、2013年2月22日まで続きましたね。
まだ、同NHK番組スタッフによるドキュメンタリー映画「猫のしっぽ カエルの手 京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」も2013年9月14日に公開されました。
テレビ番組はその後、2013年4月から2023年3月までの10年間で何度も再放送が行われほど、人気となりましたね。
2016年5月1日と8日には3年ぶりの新作が放送され、これよりタイトルに「猫のしっぽ カエルの手 」が付くようになりました。
その後、2021年までに年4回ほど新作が放送されるほど愛される番組に成長することになったのです。
家族や、生前の体調について
前述の通り、日本人男性と2度の結婚歴があり、最初の夫との間に一男二女の三子を、二番目の夫である梶山とは次男を設け、出産に関しては産後鬱からの統合失調症を発症したことも公表しています。
また、母親の4回の結婚により、彼女自身も6人の兄弟姉妹がおり、異父妹の一人は同じくガーデニングを趣味とし、アイルランドのティペラリー県ニーナーで「Curraquill Garden」を運営していますね。
後年は、2018年に番組内で視力の低下と記憶障害があることを告白し、その後、病院の診断を受け、2021年には介護施設に入所していました。
それから、2023年の6月21日、誤嚥性肺炎のため72歳で死去されることになります。
まとめ
大原の築約100年の古民家に家族で移住し、山里の四季の移ろいの中でハーブや花を育て、イースターや七草がゆなど伝統を尊重しながらの「生きる暮らし」を文筆や講演、テレビ番組などで精力的に紹介されてきたベニシア・スタンリー・スミスさん。
京都新聞は2001年からその生活の様子と交友をつづる「ベニシアの大原日記」を計62回にわたって連載するほど密着した関係でしたね。
また、NHKの番組「京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」や「猫のしっぽ カエルの手」、そして映画などでより広く知られるようになり、その暮らしぶりや生き方に憧れる人がたくさんいました。
彼女のいる大原には生前、多数の訪問者があったそうですから、今後も彼女を偲んでまた大原に大勢の方が訪れることでしょう。
数奇で不思議な縁を経て、この地、日本に来られた彼女の冥福と再度の旅立ちを祈りたいと思います。
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