”芸能界”の話。 「山本陽子」の訃報や、朝ドラの『ブギウギ』についてなどッ!

カテゴリー「話題」 テレビ

”芸能界”の話。

”女優”なような雰囲気を感じる女性なので、それを表現する時に

ー ”女優” ー
の図


 今回は、


「山本陽子」の訃報


 や、


朝ドラ『ブギウギ』

について

 などですッ!

マイク、歌手

×

”クール”や「カッコよさ」、爽やかや(理路整然の)スッキリさなどを表現するのに

ー ”マイク & サウンド ー
の図

case.1「山本陽子」 の場合

日本を代表する
女優
「山本陽子」
(81)


20日に病気のため
静岡・熱海市内の
病院で

死去したことが

 21日に分かりました。


若い頃から

美貌と
確かな演技力で
 人気になり、


また、
今月の2日にも
テレビ出演して、

晩年も
仕事への意欲を
見せていた

ばかりの

 最中でした。


葬儀・告別式は

身内で行うと

見られます。


「山本陽子」は、
品のある
凛とした美しさと、
妖艶な色香によって
多くのファンを
魅了し、

清楚な役も、
悪女役もこなした、
スター女優が
ひっそりと
今回、
他界されました。



「山本陽子」は、
東京都の
中野区出身で、
國學院高を卒業後、
野村證券に
勤めましたが、

1963年に、
知人が
映画会社
『日活』
に、
「山本陽子」の
応募書類を送ります。


それに対して、
「山本陽子」は、


「面白そうね」


と、
『日活』の
受験をしたところ、


見事に合格。


「山本陽子」は、
第7期
『日活』ニューフェース
として、
芸能界入りしました。


その頃、
『日活』では、
女優
「浅丘ルリ子」
が人気絶頂で、
その他に、
「吉永小百合」、
「松原智恵子」、
「和泉雅子」
が、
”日活三人娘”として
活躍中で、
「山本陽子」は
端役どまりでした。


しかし、
俳優
「高橋英樹」
の相手役として、
1964年の映画
『抜き射ちの竜 拳銃の歌』
で、
本格デビューした後は、
業界で頭角を現し、

また当時、
映画からテレビに
活躍の場を移すのは、
”格落ち”
と言われていましたが、
それも気にせずに
ドラマ
『七人の孫』
『白い滑走路』
などに出演して、
注目の的に。

特に、
ドラマで
嫁姑の確執を描いた
『となりの芝生』
で、
テレビでも
人気になりましたね。


その他に、
舞台では、
1971年の
女優でマルチタレントの
「森光子」主演の
『放浪記』
が、
「山本陽子」の
初出演作になり、

1980年の
舞台
『花埋み』
には初主演となり、

作家
故「宇野千代」
の小説が原作の
『おはん』
なども代表作
になりますね。


それにより
「山本陽子」は、
1994年には
『菊田一夫演劇賞』
も受賞されています。


その他に、
企業の
『山本海苔店』
のCMキャラクターも
長年務め、
2010年には
42年という
専属タレント契約の
世界最長記録として
ギネス認定も
されていますね。



そんな
「山本陽子」は、
70歳を機に、
東京都から
熱海市に移住し、

双子のように
仲の良かった
実の姉は、
昨年の春頃に
亡くなられています。


その後は
気落ちすることも、
「山本陽子」は
多かったのですが、
自身の
仕事への意欲は
(おとろ)えておらず、


今月の
2月2日には
テレビ朝日系
トーク番組
『徹子の部屋』
で、
『日活』の
スター同士だった
俳優
「高橋英樹」
とも出演し、

昨年の
2023年に、
芸能生活
60周年を迎えた
「山本陽子」は、


「健康である限り、


いろんな役に

 挑戦したい」


と宣言し、


4月には、
舞台出演する
予定もありました。



「山本陽子」は、
女優として
和服が似合う一方で、
運転好きのカーマニアで、
男まさりとも言われ、

さらに、
麻雀が趣味で、
酒も好きだったとも
言われていましたね。


そんな
昭和の強い女性の
美人女優は、
急に旅立たれて
いきました。


この度の急逝に

 ご冥福をお祈りいたします。

case.2『ブギウギ』 の場合

NHK
「高瀬耕造」(48)
アナウンサー


22日に放送される
『ブギウギ音楽祭』
(NHK総合・全国にて
再放送木曜、23:45~)

本放送は、
NHK総合・関西地方にて
2月8日(木)の
19時57より
放送されていました。

にて

MCを担当し、


それに合わせて
NHK大阪放送局の
公式Xは、

放送でカットされた
『ブギウギ音楽祭』
での

”ビックリ発言”


公開して
くれましたね。

どんな

”ビックリ発言”
  だったのでしょうか…。

見ていきたいと
思います。


『ブギウギ音楽祭』は、
文字通り、
朝ドラ
『ブギウギ』
で披露されている
楽曲を、
豪華歌手が歌う
コンサート形式の
番組で、

同番組の司会を、
『ブギウギ』で
ナレーション
を務める
「高瀬耕造」アナが、
こちらでも担当
されています。


そんな今回の
番組放送に合わせて、
NHK大阪放送局の
公式Xでは、


(今回の、) 

『#ブギウギ 音楽祭』


では

#中納良恵さん
(#EGOWRAPPIN)

#さかいゆうさん


『ハッピー☆ブギ』


 初パフォーマンス」


(また、) 


放送ではカットされた

こんなやりとりを


 初公開」


「高瀬アナ、


急に
何を言い出す
 のやら…」


とコメントして、
動画を投稿。


その動画で、
「高瀬耕造」アナは、


(ドラマの) 


タイトルバックの

人形の動き、


ちょっと
気持ち悪いとか
怖いとか、

そういう声、

 正直ありましたよね?」


と、
観客席に
呼びかけ。


続けて、


「怖いなと思ってた人、


手をたたいてもらっても

 いいですか?」
(”賛同”として)


とも聞くと、
同意の
拍手が沸き起こり、


これに、
ステージ上の
『EGO-WRAPPIN’』
ボーカル
「中納良恵」
や、
シンガーソングライター
「さかいゆう」
も手を上げて、


(あの人形は、) 


 怖かった」

(”率直”な意見感ッ)


と、
共感を示し、


それから、


「それ、

(人形)

言ってもいい

ネタ

 だったんですね?」


と、
ツッコんで
いましたね。


朝ドラ
『ブギウギ』の
オープニング映像は、
人形が
音楽のブギに合わせて
踊る映像で、

序盤に
首が伸びたり
している
動作もあり、

(不気味)
変わった独特の
作風を表しています。


印象に残り

”インパクト”

 も大事ですが、

お、穏便なのも

 良いですよ…。

動物、ゾウ、思考や思案、疑念や疑惑、また”思い当たる節がある”などの表現に

”アイディアの”
ー ”考案中” ー
の図

(”クリエイト”は『爆発』
(サイケデリック)
だッ!!)

case.3『ブギウギ』茨田りつ子 の場合

NHK連続テレビ小説
『ブギウギ』

第100回


 22日に放送され、


そこで、

作中の
登場人物の

「茨田りつ子」

の行動に


好感度が

 上がっています。



ここからは、

ネタバレも含みますので

ドラマ試聴に
堪能な方は

”ターン・ライッツ”
(回れ右)

 でお願いします。

ワインやお酒を嗜む・堪能している

ー ”楽しく鑑賞” ー
の図



今回の放送では、
「茨田りつ子」
(『菊地凛子』)
が、
芸能記者
「鮫島」
(『みのすけ』)
を撃退し、
「スズ子」
(『趣里』)
と和解する
シーンが描かれ、


作中では、
「茨田りつ子」
のもとに、
再び雑誌記者の
「鮫島」が
やって来ますが、

「茨田りつ子」は
「鮫島」のうそ
を指摘して、


「目障りよ、


 消えなさい」


と、
「茨田りつ子」を
騙した
記者の「鮫島」に
対して怒りを
ぶちかまします。


しかし、
「鮫島」本人は
開き直って、
自分たちが
雑誌に記事を書くから
話題になり、
スターでいられる
と反論し、

人気商売なのだから
記者とは
仲良くやろう
と持ちかけるも、

「茨田りつ子」は、
人気が欲しくて
歌ってるわけじゃない
として、


たった

1人のためでも


一生忘れられない歌を


聴かせるためだ


と言って、
歌にかける
自身の思いを
ぶつけ、


その迫力によって、
雑誌記者の
「鮫島」を撃退します。


そして夜に、
「茨田りつ子」は
「スズ子」の
自宅を訪問し、


「この度は、

  ごめんなさい。」


「この前のこと、

 謝りに来たのよ」


「私、


 最近どうかしてるのよ」


「歌がまっすぐ 


お客に

届いていない

 気がして」


(それで、) 

まんまと

鮫島に乗せられて

 しまった」


などと話し、
「茨田りつ子」は
「スズ子」に対し、
正直な気持ちを
打ち明けるのでした。

この展開には、
「茨田さんカッコいい」
「シビレるーーーー!!!」
「さすが」

「好きだなぁ」
「不器用だけど、
思いやりのある方ですね」
「ツン・ツン・ツンデレ
の謝る姿、
大好物なんですけど!!」

などの声が
寄せられていましたね。


エモいッ!!

冬着や寒さ、雪や冷たさの表現などに

ー ”エモい” ー

case.4「西山喜久恵」アナ の場合

フジテレビ
「西山喜久恵」(54)
アナウンサー

フジテレビの
アナウンサーチャンネルの
YouTubeに登場。


広島県の尾道市

尾道市(おのみちし)は、
広島県の
南東部にある市で、

瀬戸内海に面し、
古くから
”海運”の拠点

として繁栄している
街です。

また、
その街は、
「坂の街」
「文学の街」
「映画の街」

とも言われ、


その他に、
アニメの舞台にも、
そのロケーションが
よく使われていて、
アニメファンから
「五大聖地」の一つ
とも言われて
いますね。


ー ”広島県”の位置 ー

広島県の位置
<a href=”//commons.wikimedia.org/wiki/User:Lincun” title=”User:Lincun”>Lincun</a> – 国土交通省 国土数値情報(行政区域), CC 表示-継承 3.0, リンクによる


”尾道市”の位置
(色の濃い赤紫のところ)

尾道市位置図
<a href=”https://ja.wikipedia.org/wiki/User:Lincun” class=”extiw” title=”ja:User:Lincun”>Lincun</a> – Original file: <span class=”int-own-work” lang=”ja”>投稿者自身による著作物</span> Data: 国土交通省 国土数値情報(行政区域<span style=”font-size:smaller;”>(N03)</span>・湖沼<span style=”font-size:smaller;”>(W09)</span>), CC 表示-継承 3.0, リンクによる




の実家に

「皇太子さまが来たんです」


と告白し、


他の
後輩アナたちの
度肝を

 抜いていましたね。


「西山喜久恵」アナは
7日にアップされた
動画で、
後輩のアナたちに
自分の年表を説明し、

自分は
1969年生まれの
広島県尾道市の
旅館の娘だった
と言い、

そして、
自身が小学校6年
だった
1981年の時に、


「皇太子さまが 


 うちに来たんです」

キックボード、外出

ー ”来る” ー
ことのイメージ図


と、
ホワイトボードに
書き込みながら
説明。


これには、
後輩の
「岸本理沙」アナや、
「藤本万梨乃」アナも、


”きょとん”


として、

「どういうことですか?」

首をかしげるオカメインコ、

ー ”後輩たち” ー
のリアクションの図


と困惑。


それに対して、
「西山喜久恵」アナは、


(”うちに来る”と言うことは、) 


つまり旅館だったので、


旅館に

お泊まりに

 なられた」


と、
当時の状況を説明。


その事実に、
後輩アナたちも、


「すごい…」


とコメント。


そして、
その当時、
小学6年生だった
「西山喜久恵」アナは、


「今日は 

皇太子様が来る


ってことは

 知ってたけど、


(それは、)

普通のことだと

 思ってた。」

(宿泊業的に)


「普通の 


(宿泊客の)

お客さんの1人だと

思ってたら、

参加やツアー、旅行や行楽などの表現に

ー ”お客さん” ー
のイメージ図

(学校で、)

校内アナウンスが
流れて


(当時の『西山喜久恵』アナは)

家に帰るように

 って」

町内放送、スピーカー、放送や連絡、報告や発信などの表現に

ー ”アナウンス” ー
の図


と、
あわてて
家に帰された
と言いますね。


そして、
家にたどり着くと、


「あり得ない 

 警備の人がいて、

格付け、グレード、リムジン、セレブなど

ー ”警備車両” ー
のイメージ図

そして、親から)


”何してたの!”


って、

今までにない
一張羅のワンピースに
 着替えさせられて、


家族全員で
お出迎えよ


 って」

くす玉で祝福やお祝いなどを表現するのに

ー ”お出迎え” ー
の比喩イメージ


と、
よそ行きの服に
着替えて、
お出迎えをした
と言いますね。


このことについて、
「西山喜久恵」アナは、


「そのときに 


大変なことだって、

 今でも覚えている。」


「近所の人が 

今でも旗を

 ワーッ振っていて。」


「子供心に


すごいことだったんだ

 って」


と、
当時を振り返って
いましたね。


1981年当時の
皇太子は、
今上天皇陛下に
なります。

おわりに

今回は、
様々な
”芸能界”の話について
見ていきましたね。


どの話題も、
 ”話題性”がありました。


一部、
悲しいお別れの
 話もありましたが、


それでも、
そんな彼女や彼らの
次なる活躍に


『期待』ですッ!!

瞳

ー ”期待の目”の図 ー

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