”有名人”の話題ッ!! 『おはようございます!』(夜10時)や、「森永卓郎」の”すべき”べき3つの事柄などです。

カテゴリー「話題」 人物

”有名人”の話題ッ!!

マイク、歌手

ー ”マイク” ー
の図


コンカイは、


『おはようございます!』
(夜10時)


や、


「森永卓郎」

”すべき”べき


『3つ』の事柄


 などです。

case.1「安住紳一郎」 の場合

TBS
「安住紳一郎」(50)
アナウンサー

27日の夜、

情報番組
『情報7days 
 ニュースキャスター』
(土曜、22:00~)



バングミ頭で、


『おはようございます!』
(夜10時)


言った瞬間、


”うつむ”かれて


『間違った、


ごめんなさい…すみません、

間違えました』


謝罪する事態に

 なっていましたね。


この事態には
オナじ番組
シュツエン者で、
劇作家で脚本家の
「三谷幸喜」
も”ウレし”そうに、


「こんばんは!」
(ですよねッ!)


っと挨拶し、


ツヅけて、
「安住紳一郎」アナの
代わりに、


「1月27日土曜日、


夜10時

 になりました」


っと、
バングミを
開始させ、
スタジオは爆笑に。


この間違いの
”原因”には、

「安住紳一郎」アナが、
ジシンが
総合MCをツトめる
TBS
『THE TIME,』
(月~金曜、5:20~)

っとの混同が
あってしまった
ヨウで…、


コレには、
「三谷幸喜」から、


「しょうがないですよ、


毎朝やってたら」


っと言うのに
対して、


「安住紳一郎」アナは、


「本当に情けない、


 すみません」


っと謝罪して
いましたね。


そして、
コンカイの
”言い間違い”
をした
「安住紳一郎」アナ
に対して、
「三谷幸喜」は、


「どうやって 


(普段に)

使い分けているのか


 気になってたんです、




朝の番組と

 夜の番組で」

(”生”番組の
『両番組』の間で)


(それも、
”一週間”の内でッ!!)


っと話すと、


「安住紳一郎」アナは、


「使い分けられて 

ないんですよね…




いま物凄く

 動揺してます」


っと、
コンカイの
失敗に、
苦笑して
いましたねッ!


”生”での

アナウンサー
お仕事


 お疲れ様です。

マイク、歌手

ー ”マイク” ー
の図

case.2『サンデーモーニング』 の場合

TBS系
『サンデーモーニング』

28日に放送され、


番組の
生放送中に起こった
地震で

スタジオが
一時混乱する

場面が

 ありました。


『サンデーモーニング』
では当時、
番組は
スポーツコーナーで、

卓球の
女子シングルス代表
をかけた
全日本選手権のVTR
を放送して
いましたが、


午前8時59分ごろ、
フリーアナウンサーの
「唐橋ユミ」アナが、


「あっ! 


今、

 スタジオが揺れました。」

「VTRの途中 

ですけれども、


今、

スタジオが揺れました」


とVTRを中断。


番組は
スタジオに
切り替わって、


「唐橋ユミ」アナは、


「ちょっと揺れてます」


と、
地震が起きたことを
伝えると、


番組MCで俳優の
「関口宏」も、


「ドスンときましたね」


とコメント。


続けて、
「唐橋ユミ」アナは、


「一瞬、 


グラッと

揺れましたけども、

皆さん

 大丈夫でしょうか?」


(また、) 


何か物が


落ちてこない
ように、

 頭を守ってください」


と視聴者に
呼びかけていましたね。


そして、
スタジオにある
震度計は、
今回の地震として
震度3の揺れを
感知し、


それについて、
「関口宏」は、


(今回の地震規模は) 


 そんなもんかなあ?」

(体感として、) 


もっと

大きかったような

 気がしたけどな」


と、
震度計の結果に
首をひねり、


その後、
地震の揺れが収まると、


「関口宏」は、


「今、 


 揺れてない。」


「ということは 


我々は

このままで

 いいのかな?」


と、
番組上で
スタッフに確認し、

午前9時3分ごろ、
番組は
再びVTRに
戻りましたね。


今回起きた
地震は、
東京湾を震源
とする、

TBSのある
赤坂を含めた、
東京23区で
震度4を観測したと
発表されています。


急な地震の中での

対応でした。

ハートや愛、無償さ(献身さ)や思いなどの表現に

ー ”安全確保、大事に” ー
の図

case.3「森永卓郎」 の場合

昨年末に
ステージ4
(末期がん)

すい臓がん
であることを

公表した


経済アナリスト
「森永卓郎」
(66)


 日本経済を斬る、
(論評する)


スポーツ新聞
『スポーツ報知』
の毎月
第4日曜

掲載コラム
『森永卓郎の本音』


において、

今月は
特別編として、


「森永卓郎」との
リモートインタビュー
による

現在の「森永卓郎」
の状況や、

今後に対する思い
などを

 見ていきます。


「森永卓郎」は、
2023年の
12月27日に、
自身が
レギュラー出演する
ラジオ番組で、

ステージ4
(末期の)
のすい臓がんを、
突如、
自身に見つかった
ことを報告。


そして、
そのための治療を
同ラジオ放送後に
始めると明かし、
その日から
抗がん剤治療を
開始したと
言いますが、


「森永卓郎」は、


「正直言って 


(病状の診断に)

私は
納得して
いなかった

 のですが、


サードオピニオンまで
取って

全部同じ見解
 だったので、

すい臓がん用の
抗がん剤を

 打ちました。」


「でも、

薬が合わなくて

  大失敗。」
(その時は)


(薬を打った後の) 

12月29日に、

本当に

死ぬ一歩手前

  だったんです。」


「その後に 


 新薬を投与して、

  2週間ほど入院。」


(それから、) 

ほぼ 

元の状態というか、


抗がん剤を投与する
前の状態

 に戻ってきました。」


(末期がんに抗うような薬は
強い毒にもなるようです)


(しかし、) 

(体調が戻っても、)


ただ、 

(入院の間は、)
ずっと

ベッドにいたので


筋トレで筋力を
戻さないと

 いけないんです」


と語られました。


「森永卓郎」は、
自身が投薬した
新薬について、

2018年に
医師で医学者(研究者)
「本庶佑」が、
”ノーベル医学生理学賞”
を受賞したことで
知られるようになった、
がん免疫治療薬
『オプジーボ』
を今月中旬から
使用して、
現在は退院しての
治療を続けている
とのことです。


そして、
この度、
「森永卓郎」が
死を覚悟した瞬間に、
頭によぎったのは、

まず、
家族のことではなく、
仕事のことだった
と言い、


「森永卓郎」は、


(当時、) 


その時までに

9割方できていた

(書き欠けの)
本があったんですが、

(自身の)
意識がもうろうとして、

 全く進まなくなった。」


「何が何でも 

(それを)
書き終えないと…

という

気持ちだったので、


それが

できなかったのが

すごく

 苦しかったんですよ。」


「幸いにして 


 次の薬が効いたので、

一気に

(それから)
 書き上げました」


と言い、


その本を
完成させた瞬間には、
「森永卓郎」は、


「もういいかな」
(心残りも、仕事も)


と思った
そうですが、


(本を書き終えてからも) 


まだ

休んでいる

 わけにはいかない」


と思うことが
浮かんできたと言い、


「森永卓郎」は、


「一つは 

(自身が教授を務める)


(独協)
 大学のゼミ。」

(受け持ちのゼミ)


(そのゼミで) 

1年生を

(来年度に向けて)
30人くらい

採用しちゃって

 いるんです。」


(そして、) 

この子たちにまだ、

 授業ができていない。」


(その子たちを、) 


一人前にするために、

9月のゼミ合宿まで

何が何でも

生き残らないと

  いけないんです。」


「それが、 

とりあえずは

  最低限の目標。」


(また、) 

できれば 

  卒業まで面倒を見たい。」


「もう一つはラジオ。」

(ラジオの) 


リスナーは

家族みたいな
 ものですが、


この人たちが

(私が)
勝手に
死のうとする
ことを

許して
 くれないんです。」


「あとは、


かみさんと

一緒にいる時間を

  作りたいってこと。」


「この3つですね」


と語り、


そして、
現在は、
新規の仕事は
受けていませんが、
以前からの
連載などの仕事は、
基本的には継続中
であり、


そのため、
その仕事の
多忙性ゆえに、
根本のがん治療に
影響がある
んじゃないか
と言う心配もされる中、


「森永卓郎」は、


「なんやかんや言って、

今も

1日
17~18時間


働かないと

(その日が)
  終わらない。」


「時間的には 

(時間の割合的には)


 以前と同じですが、


仕事のペースは

 落としています。」


(しかし、) 


仕事と治療は、

 完全に同時並行です」


と語りますね。


けれども、
「森永卓郎」が
そこまでして
働く原動力は
どこにあるのか?

また、
「がん」
(の中でも末期がん)
を患ったことで、
人生観が
変わったところは
あるのか?


それらの問いに
対して、
「森永卓郎」は、


(自身の人生観として) 


何一つ

変わって

  いないですね。」


(働く原動力には、) 


”権力”と戦い、


とにかく

『前向き』に

  死ぬということ。」


「だから、 


(闘病中でも)

”ゆっくり人生を過ごそう”


とは、

みじんも

 思わなかったですね。」


「休んでいる暇はない。

行けるところまで

(自分は)
 行きますよ」


と、
答えていましたね。


インタビューで、
パソコンの
モニターに映る、
「森永卓郎」の
顔つきは、
闘病により
一時期と比べて
頬がこけてしまって
いますが、

それでも、
「森永卓郎」の
みなぎる気力は、
モニター画面越し
からも、
溢れ出るほど
精力的でしたね。


闘病だけでない、

”闘う男”

 でした。

突き進みや進行、山や坂を超えるなどの表現に

”闘い”
ー ”そして進む姿” ー
の図

”前に、前に”

case.4「片岡凜」 の場合

俳優
「片岡凜」
(20)


27日に、


数々の逸話を持つ

父親で実業家で、
デザイナーの
「片岡達也」
(50)

若き日の

強烈エピソード


自身の
SNSであるXで

紹介して
 くれましたね。


「片岡凜」は、


「父の若い頃の 

パンクバンドの


ライブ映像を

 見ました。」


「ライブ当日に 

ギターとベースの方が


 逮捕されたらしく、




ボーカルの父と

 ドラムのみの演奏で


(それにより)


お客さんに


『お経じゃねんだぞ』


ヤジられて

  気の毒でした」


っと、
サラリと
父の
”衝撃”エピソード
をヒロウし、


ツヅけて、
「片岡凜」は、


「さすがに 

(その時の演奏は、)

二曲で終了でしたが、


ステージで
(”ボーカル”として)
叫ぶ父は


上半身裸で

顔もイエス様みたい
なので



『仏教かキリストか 

 ハッキリしろバカ』


ともヤジられ、


(そこから、)


お客さんに殴り
かかり


どちらも

バチ当たりで

  気の毒でした」

(仏教的にも
キリスト教的にも?)


っと、
その後の顛末も
紹介し、

この投稿には、
「地獄絵図ですね」
「最高の親父」
「ネタみたいな
本当の話ですか」

「お父さん、
イケメンですね」
「凄いエピソード!」
「文章力が秀悦」

「ワードセンスが高すぎ」
「キアヌ・リーブス
やんけ」

などのコメントが
寄せられていますね。


勝者のいない(?)

エピソードでした。

会話や議論、話し合いや雑談などの表現に、小道具(机やイス)が効いてて面白い、上から斜め下に見下ろす”俯瞰”視点なのも画像のイメージ(トーク中)が掴みやすいと

ー ”トーク中” ー
の図
(”反応に困る”)

おわりに

今回は、
様々な
有名人の話題について
見ていきましたね。


どの話題も、
”個性的”であり、

『話題性』が
 ありました。

けれども、
一部、
心配になるような
 話題もありましたね。


しかし、
そんな彼や彼女らの
次なる活躍に


『期待』です。

瞳

ー ”期待の目”の図 ー

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