コンカイは、
映画
『カラフルな魔女』
前ッ!!
「角野栄子」
が語る
『魔女の宅急便』
についてですッ!
序章. 童話作家「角野栄子」
1989年に
公開され、
『スタジオジブリ』
の初期作品として、
いまも
絶大な人気を誇る
アニメーション映画
『魔女の宅急便』
その原作者で、
童話作家で
ノンフィクション作家
の
「角野栄子」
(89)
が
原作・映画
ともどもの
『魔女の宅急便』
の裏話
と
自身の
”児童文学”の
『制作意思』
について
語って
くれましたね。
1章.『魔女の宅急便』
「角野栄子」は、
作品
『魔女の宅急便』
の”着想”
(アイディア)
について、
「私は大学時代、
”アメリカ大使館”の
『図書館』に行って
”海外の雑誌”を
よく見ていました。」
っと語り、
続けて、
「その時、
雑誌
『LIFE』
に
載っていた
『鳥の目から見た
ニューヨークの風景』
という写真を見て、
すごく
”物語性”を
感じたんです。」
「その後、
娘が描いた
『魔女のイラスト』
を見て
:
:
”魔女の話を書いてみよう。”
それを書けば、
『空を飛べて
あの風景が見られる』
(『写真』のような…ッ)
」
っと思いつき、
そして、
またその頃、
その自身の”娘”が
『12歳』だった
ので、
それで、
当時の”娘”と
同じ年くらいの
『女の子』を、
書いて
みようかな、
:
:
空を飛べるなら
どこかに行った方が
いいかな
:
:
と。
「角野栄子」は
考えたそうで…、
そして、
「そのぐらいで
始まるんです、
私の作品は。」
(キッカケは)
っと、
答えてくれ
ましたね。
また、
“宅急便”については、
「角野栄子」は、
「『魔女~』
(本作タイトル)
は
雑誌
『母の友』
(出版:福音館書店)
で
1年間
連載されました。」
「(本作は、)
月1回の連載なので、
:
:
前に読んでない
人もいるし、
:
:
読んだ人も
忘れてる
かもしれない。」
「だから
続きもの
(話がまたぐ回)
というよりは、
ある程度”1話”で
決着が付けられる話
(読み切れる話)
がいいと、
(それで)
宅急便にしました。」
(作品の”コンセプト”に)
「(宅急便は、)
”1つ”運び終わると
完結するので。」
そうして、
『魔女の宅急便』
が生まれて、
連載することに
なったのですが…、
そこには
”問題”がッ!!
連載の当初から、
当時、
「宅急便」と言う
単語は、
あの
配送会社
『ヤマト運輸』
の
”登録商標”
だったのですッ!
”商標”や
『登録商標』とは、
会社や企業が
自身の商品やサービス
に付ける、
「マーク」(識別標識)
や「ネーミング」
のこと。
その「マーク」(識別標識)
や「ネーミング」
を財産として守るのが
”商標権”という
『知的財産権』
になります。
商標は、
まさに
”ブランドイメージ”であり、
また、
「もの言わぬセールスマン」
とも表現され、
”商品”や『サービス』
の顔として
「重要な役割」を
担っていますね。
そうとは知らず、
そのことに対して、
「角野栄子」は、
「そうそう。
(『宅急便』そのものが)
”登録商標”
だと知らずに
:
:
(当時、)
『1年間』
連載しちゃった
んですけど、
:
:
私は
(自身としては)
1年間付き合った
名前なので、
(”タイトル”を)
変えるのは
嫌だと思って。」
「(それで、)
”出版社”で
『弁護士』さんに
(”そのこと”を)
相談したら、
:
:
『魔女の』
が付けば
(”タイトル”として)
大丈夫
ということになりました。」
「それで
(『ジブリ』で)
映画化されたら、
:
:
(”アイディア”元の)
『ヤマト』さん
(『ヤマト運輸』)
が
”スポンサー”に
なってたのね(笑)。」
「『ヤマト』さん
には
毎日、宅急便で
お世話になっています。」
また、
原作の
『魔女の宅急便』
ができた時の
反応について、
「角野栄子」は、
「(手応えは)
(”作品”としては)
特になかったですが、
”反響”は良かったです。
『やっと
日本に
私たちの物語ができた』
:
:
という
お便りを
いただきました。」
「(当時の)
日本の
”児童文学”って、
私より前の世代
(”戦前”)
は教育的なものが
多かったんですよ。」
「でも、
私は
自分が好きなものを
書いているだけ
ですからね。」
「『魔女~』
(本作タイトル)
の場合は、
多くの人が持つ
悩みや喜びなどと
同じ感覚で
:
:
『キキ』
(本作の主人公)
が
動くので、
そこで
『自分の
等身大の話だ』
(”教育”的じゃないッ!)
と
感じてくれた方が
多かったんじゃ
ないでしょうか。」
っと、
振り返っていましたね。
それから、
『スタジオジブリ』
からの
”アニメーション映画”化
について、
「角野栄子」は…、
「(当時、)
私、
(まだ、)
『宮崎駿』さんを
知らなかったんです。」
(”知られ渡る”前
の状態)
「でも、
(自身の)
娘は
(『ジブリ』作品の)
『風の谷のナウシカ』
など
を
観ていたので、
:
:
(『ジブリ』からの依頼は)
『絶対やった方がいい。
とっても
いい映画
にしてくれると思う』
と言うんですね。」
(”娘”がッ)
「それで
(”制作”を)
承諾しました。
でも、
『鈴木(敏夫)』
プロデューサーから
:
:
『宮崎さんは
原作を変える人だ』
と
聞いてたので、
:
:
私は
”タイトル”や
『キャラクター』は
変えないように
:
:
と
お願いしました。」
そして、
その後、
映画版の
『魔女の宅急便』
を見た際の印象(感想)
は…、
「角野栄子」は、
「(初めに、)
『あれ?』
と
思いました。」
「私だったら
(作中で)
こうしないな
:
:
と
思うところもあって。
(また、)
よく映画を観た
(視聴者の)
方から
(not ”原作読者”)
:
:
(”映画”の)
『ニシンパイの
作り方を教えて』
と
言われるんですけど、
:
:
私は
”原作”で
(”ニシンのパイ”の調理を)
書いていない
んですよね(笑)。」
「でも、
あれ
(”料理”の描写)
は
『宮崎』さん
の作品
(”映像作品”)
だからと、
すぐ
切り替えました。」
っと、
自身との違いを
語ってくれましたね。
そして、
『スタジオジブリ』
からの、
”映画化”からの
その後の影響については…、
「角野栄子」は、
「(”映画化”されたことで)
多くの人たちに
(作品としての)
『魔女の宅急便』
という
”名前”と、
『キキ』、『ジジ』
という
”キャラクター”
が
知れ渡ったのは、
ありがたいと思いました。」
「(昔に)
ドイツの田舎で
会った
若い男の子たちも
『魔女~』
を
知っていましたけど、
:
:
それは
”映画の力”
ですよね。」
「当時、
ドイツでは
翻訳本も
出てないわけだから。」
っと語ってくれましたね。
2章. ”児童文学”について
「角野栄子」は、
”児童文学”について、
「
”児童文学”
というのは
世代を
つなぐんですよ。」
「子どもの頃に
本を読んだ人が、
年をとって
子どもや孫に
つないでいくという。」
”つなぐ”
ー ”サイクル” ー
の図
”脈々”っと
「しかも
私の話は
時代を切り取って
いないし、
:
:
強い主張を持ってる
わけではないので、
:
:
(”結果”として)
そういうところも
長く読まれる
要因だと思います。」
「これが
時代に合わせたような
物語だったら、
時代とともに
言葉も変わりますし、
:
:
長くは
続かない
だろうなと。」
っと語り、
”著者”として、
作品の『読者受け』
については…、
「(”制作”にあたって)
自分が面白い、
楽しい
ということ
しか
考えてないです。」
「読者に
受ける受けない
ということも
考えない。」
「それを考えると
失敗しますから。」
っといい、
出版社や編集から、
”こういうふう”
にしてくださいと
言われたら?
っという問いに対して、
「角野栄子」は、
「それも
一切聞き入れません(笑)。」
「締切も決めません。
”書けたら”
持って行きます
という
『スタンス』で。」
「私、
”怠け者”
じゃないから、
今でもちゃんと
毎日朝から夕方まで
書くんです。」
「締切がないと
書かない人も
いるかもしれないけど、
:
:
私は
自分が好きで
(”意思”で)
書いているから。」
「締切があると、
自由
じゃなくなるしね。」
「(そして、)
(この”作品”の)
『テーマは何ですか?』
と
聞かれても
『ない』
って
言います(笑)。」
「だって
(”製作者”の)
私が
(”これ”は、)
『こういうテーマです』
と
言ったら、
(”宣言”したら)
読者は
そういう風に
(”普通”に)
読むじゃないですか。」
「(”誘導”とか『思惑』とか)
そうではなく、
(読む”子”(人)に)
”自由”に
(手にしている”本”を)
読んでもらいたいん
ですよね。」
(”著者”としての私は…)
っと、
自身の
”児童文学”観を
語ってくれましたね。
3章. 人物紹介
「角野栄子」は、
東京都の深川生まれで、
大学卒業後、
出版社勤務を経て、
”24歳”から
ブラジルに『2年』滞在。
その体験をもとに
描いた
『ルイジンニョ少年
ブラジルをたずねて』
で、
”35歳”の
1970年に
作家デビュー。
代表作
『魔女の宅急便』
(福音館書店)
を出版したのは、
”50歳”の時で、
その後、
『スタジオジブリ』
にてアニメーション映画化。
その他に、
”舞台化”や
『実写映画化』も
されましたね。
また、
「角野栄子」は、
授章や受賞として、
”紫綬褒章”、
そして、
『旭日小綬章』
を受章。
2018年には
児童文学の
『小さなノーベル賞』
ともいわれる
”国際アンデルセン賞作家賞”
にも、
日本人「3人目」として
受賞されています。
4章. 映画『カラフルな魔女』
映画
『カラフルな魔女
~角野栄子の物語が
生まれる暮らし~』
とは、
「角野栄子」
に”4年間”密着した
ドキュメンタリー映画
で、
今月の1月26日(金)
に公開。
「角野栄子」の
日常に”4年”に渡って
密着し、
鎌倉の自宅では
自分で選んだ
『いちご色』の壁や
本棚に囲まれ、
カラフルな
ファッションと
個性的な眼鏡が
トレードマークで
生活する一方、
5歳で母を亡くし、
戦争を経験。
そして結婚後に、
”24歳”で
ブラジルに渡り、
『35歳』で
作家デビューするなど、
波乱万丈な
人生を歩みながら、
持ち前の冒険心と好奇心で
幾多の苦難を
乗り越えられて
きましたね。
そんな
「角野栄子」がいう、
“想像力こそ、
人間が持つ一番の魔法”
とは?
88歳(現、89歳)
のキュートな“魔女”が、
『老い』や「衰え」さえも
逆手にとって、
今もなお、
”夢いっぱい”
な
『物語』
を生み出す
”秘訣”
映画
『カラフルな魔女
~角野栄子の物語が
生まれる暮らし~』
は
今月の
1月26日(金)
に
コウカイですッ!!
おわりに
コンカイは、
映画
『カラフルな魔女』
前に
「角野栄子」
が語る
『魔女の宅急便』
について
見ていきました。
是非、
これを機会に
原作・映画
ともども
楽しむとともに、
1月26日(金)
公開の
映画
『カラフルな魔女』
も
”期待”して
『楽しみ』ましょうッ!!
ー ”期待の目”の図 ー
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