「絵が描けない」
:
:
、
ついでに
「字も
キレイに書けない」
:
:
。
”これら”
に対して、
紙の上
(”紙面上”)
の
「線」
の
『大きさ』
と
”方向性”
に
注目して、
描きやすさ
(”書きやすさ”)
を
考えてみたいと
思います。
”ペンとの”
”付き合いは”
”長い”
:
”けれども、”
ー ”慣れない” ー
の図
”何”が悪いのか?
「絵が描けない…」
ついでに
「字も
キレイに書けない…」
:
:
と言う
”悩み”
は
多いと
思います。
誰しも、
ペンとは、
長い
付き合いですが、
いまだに
”慣れない”
のは
「なぜ」
でしょうか…?
今回は、
そんな
描く
(”書く”)
ことに対して、
紙の上
(”紙面上”)
の
”線”の
『大きさ』と「方向性」
について
注目して、
考えてみたいと
思います。
”なんで”
ー ”うまく出来ない” ー
と思う図
”慣れない”理由
”ペンとの付き合い”
(描くこと、書くこと)
は、
長いですが、
いまだに
「慣れていない」
のは、
『なぜ』か…?
それは、
おそらく
紙の上
(”紙面上”)
の
”線”の
『大きさ』と「方向性」
を
考慮
(”考えたり、感じたり”)
していないから
:
:
かもしれません…。
”何を当たり前のことを…”
と思うかも
知れませんが、
どれだけ
考慮
(”考えたり、感じたり”)
できてます?
ちなみに、
私は、
ほとんど出来ていません。
なので、
”線”がブレるし、
よく
歪(ゆが)みます…。
それで、
よくよく
『自分』が
「なぜ」
”そう”して
いないのか?
つまり、
紙の上
(”紙面上”)
の
”線”の
『大きさ』と「方向性」
を
考慮
(”考えたり、感じたり”)
して
いないのか
と
考えると、
ほとんど
”線”の
『大きさ』と「方向性」
を
考慮した
(”考えたり、感じたり
した”)
こと
”自体”
や
「トレーニング」
(”訓練方法”)
を
していなかったと
思い
至(いた)りました。
(”人間に、
標準的に搭載されていない”)
これでも、
”習字”を
習っていた時期も
ありましたが、
そこでの
指導は、
「見本」
を
よく見て
(”マネて”)
書くこと
でした。
また、
絵を描く時も、
描く対象を
”よく見る”
だけでした…。
その結果、
碌(ろく)に
”技術”は
成長しませんでした。
”見ている”
だけ
だったので。
そのため、
書くこと
については、
いまだに
”線”は
ブレるし、
歪(ゆが)みます。
つまり、
ほとんど
まともに
”線”の
『大きさ』と「方向性」
を
考慮した
(”考えたり、感じたり
した”)
”こと自体”
や
「トレーニング」
(”訓練方法”)
を
していなかった
訳です…。
(”消極的に”)
それじゃあ、
”当たり前”の
ように
字も絵も
書けない
(”描けない”)
ことに
なります。
書ける
(”描ける”)
ようになる
要素
(”訓練や練習”)
が
”ない”
訳ですから…。
それでは、
「実技(”技能”)」が上がる
訳が
ありません。
つまり、
書けない
(”描けない”)
現状には
明確な
理由と道筋
がある
(”あった”)
訳です。
じゃあ、
”改善点”
(”解決策”)
はあるのか
と
思えば、
ちゃんと
きちんと
書く・描く
手順
(”訓練や練習”)
を
踏んで行けば、
”改善点”
(”解決策”)
はある
と
思います…。
その、
きちんと
ちゃんと
書く・描く
手順
(”訓練や練習”)
について、
次の章から
考えてみたいと
思いますが…、
まず、
はじめに
これ
(”この記事”)
を
書いている
人間は、
書道も絵画も
素人
(”しろうと”)
以下の
人なのと、
そもそも、
最初っから
まともに
きちんと
書ける・描ける
ような
「トレーニング」
(”訓練、練習”)
方法がある
のであれば、
既にそれが
普及されていて、
ここで
取り上げるような
内容
(”こと”)
は
”存在していない”
と言う
「パラドックス」
(”逆説や矛盾”)
が
ありますで、
今回の
記事の内容に
ついては、
そもそも
参考に
出来るかどうか
や、
内容が正しいか
どうか
に
ついては、
それぞれの
判断に任せたい
と思います。
”よく注意して”
ー ”読んで下さい” ー
の図
”絵”の描き方
まず、
はじめに、
自由な
大きさの
四角
(”□”)
と
丸
(”〇”)
を
描いてみて
ください。
たぶん、
それは描ける
と思います。
けれど、
それらを
大きく描いたり
小さく描いたり
してみよう
と
すると、
たぶん、
描けなくなると
思います。
”なんでか?”
それは、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
が
分からない
・
把握できていない
からです。
つまり、
描くための
手の動かし方
を
知らない訳
です…。
絵は、
”不気味の谷現象”
で知られる
ように、
「そのもの」
(”本物”)
に限りなく
近づく途中で、
”異常”に
「不快感」
(”違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ”)
を
感じさせる
現象が
起きます。
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
が、
”迷子”
(”迷い”)
になると、
”線”が
ブレたり
歪(ゆが)んだり
しますので、
”不気味の谷現象”
が
顕著
(”はっきり表れること”)
に
なって行きます。
つまり、
絵のためには、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
きちんと
把握した上で、
手を
”動かす必要”
がある
訳です。
そのために、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握する
訓練
(”トレーニング”)
が
絵を描く上で
必要となる
訳です。
そこで、
重要なのが、
”どう
訓練
(”トレーニング”)
するか”
です。
この章では、
その
訓練方法
(”トレーニング方法”)
について、
見ていきたいと
思います。
ここで
説明するのは、
”輪郭”
(りんかく、
物の外形を作っている線)
に
注目した
訓練方法
(”トレーニング方法”)
になります。
分かりやすく、
この
訓練方法
(”トレーニング方法”)
を言うと、
四角(”□”)
を
丸(”〇”)
で
囲(かこ)みます。
反対に、
丸(”〇”)
を
四角(”□”)
で
囲(かこ)みます。
:
:
「???」
と
思うかも
しれません。
この
訓練方法の
分かりやすい
例では、
角張って
カクカクとした
”カミナリ”
⚡
と
曲線的で
流線的な
『川』
を
想定して
考えてもらえる
と
分かりやすい
と思います。
この
訓練法で、
角張って
カクカクとした
”カミナリ”
⚡
を
描く場合は、
『川』
のように
曲線的で流線的に
描きます。
反対に、
曲線的で
流線的な
『川』
を
描く場合は、
角張って
カクカクとした
”カミナリ”
⚡
のように
描きます。
:
:
「???」
と
思うかも
しれませんが、
この
訓練方法の
目的は、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
きちんと
把握して、
その上で、
手を
”動かす”
訓練
(”トレーニング”)
と
なります。
なので、
”絵を描くこと”
「そのもの」
では
『ない』
と
言うことです。
それで、
”なぜ”
こんな
回りくどい
「訓練法」
を
するのか?
と言うと、
それもこれも、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
と
「方向性」
(”角度、向き”)
が
分かっていない
からです。
この章の頭でも、
四角(”□”)
と
丸(”〇”)
を
大きく描いたり
小さく描いたり
して
みようとすると、
描けなくなる
と
言ったように、
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
と
「方向性」
(”角度、向き”)
が
分からないと、
描ける
(”描けている”)
四角
(”□”)
と
丸
(”〇”)
でも
”描けなくなる”
のです…。
さらに、
もっと
例を挙げると、
角張って
カクカクとした
”カミナリ”
⚡
と
曲線的で
流線的な
『川』
も、
その
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
だけでなく、
「方向性」
(”角度、向き”)
を
左右反対
(反転)
させた
場合でも、
”途端に”
描けなくなる
と
思います。
なぜなら、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
と
「方向性」
(”角度、向き”)
が
まったく
”異なる”
ことに
なるからです…。
それでも、
頭の中の
認識は、
”同じ”
カミナリ⚡
や
川になる
(”なっている”)
の
ですがね…。
この
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握する
(把握出来る)
こと
と
把握した上で、
きちんと
手を
”動かせる”
訓練
(”トレーニング”)
に
なるものは
何か?
と
考えた上で
思い付いたのが、
輪郭(りんかく)を
異なる線で
囲(かこ)うこと
でした。
なので、
”丸い”ものや
「丸み」があるもの
は、
ドット絵や
マインクラフトの
キャラのように、
『カクカク』した
ものとなり、
逆に、
角張った
ロボットや建物
などは、
輪郭が
ブレにブレた
ようなもの
に
変わります。
(”なります。”)
でも、
それで
いいのです。
なぜなら、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
きちんと
把握して、
その上で
手を
”動かす”
訓練
(”トレーニング”)
だから
です。
”元”から、
絵を描くこと
「そのもの」
では
『ない』
ので、
回りくどくて、
一手間も二手間も
掛かる
「訓練法」
となりますが、
闇雲に
”絵を描き続ける”
より、
だいぶ
マシだと
思っています。
ただ、
この訓練法は、
”線”の
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
きちんと
把握して、
その上で、
手を
”動かす”
訓練
となります
ので、
そこから
”本格的”に
描く場合は、
”絵を描くこと”
「そのもの」
に向けて、
『ガンバ』って
くださいねッ!!
”字”について
”字”について
は、
少し
「絵」の時と
異なります。
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握すること
は同じ
なんですが、
「絵」と違って
”線”が主体で
『輪郭』がない
問題が
あります。
なので、
別の方法で
”字”における
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握して
いきたいと
思います…。
”字”の場合で、
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握する場合、
大抵、
「書くスペース」
(”書く面”)
を
想定します。
つまり、
”書く欄”の
「壁」や『天井』
を
意識する訳
ですが…、
なんだか、
想定
(”想像”)
し辛い、、。
「書くスペース」
(”書く面”)
を
意識すると、
無限に
「書くスペース」
(”書く面”)
が
”変動する”
:
:
と、
私は
よく感じます。
そのせいで、
書くための
”基準”
(”目安”)
が
決められず、
”ずるずる”
スベりまくっている
ような気が
私は
するのです。
(”個人的”な意見ですが、、。)
で、
これを止める
”基準”
(”目安”)
が
ないかと
考えた
結果、
書道やペン字など
の
文字枠の隅に
”半円”
を
置く
と
言う目安に
なりました。
:
:
「???」
と
思うかも
しれませんが、
”素”の文字枠
だと、
なんの
「取っ掛かり」
も
ありません
が、
「四角形」の
『文字枠』の
四方の隅
に
”半円”
があると
想定すると、
『文字枠』
の
”大きさ”
(”サイズ、規模”)
と、
その内側の
「方向性」
(”角度、向き”)
が、
”把握”
しやすくなる…
と
感じます…。
すごい
”個人的”な
感想ですが…。
けれども、
『文字枠』の
四方の隅
に、
「目安」で
クッションとなる
”半円”
が
あると
思うと、
書くための
”基準”
(”目安”)
がなく、
「ずるずる」
目標が
スベると
言うことが、
大分、
緩和すると
思っています。
なので、
”字”の場合、
『大きさ』
(”サイズ、規模”)
や
「方向性」
(”角度、向き”)
を
把握するための、
何か
”基準”
(”目安”)
を作ると
良いかも
しれないですね…。
おまけ:”美術”の教育のギャップ?について
それと、
「そもそも、
”美術”の教育
って
どうなっている
っけ?」
と
思う方は、
下記の
参考リンクを
ご覧ください。
”美術”の教育
に関する
<参考リンク>
※ 新しいタブで開きます。
※ 「Google検索」結果への
リンクになります。
※ 「文部科学省」の学習指導要領
の美術になります。
※ 「Google検索」結果への
リンクになります。
それで、
”美術”での
教育の
アプローチは、
先入観のない
主観
や
感性
(”直観”)
を
大切にし、
”自由”な
『発想』を
大事にしている
ようです。
そこから、
”デッサン”の
講義や授業
(”教育”)
に
代わると、
グリッド
(”格子”)
や
バース
(”遠近法”)
などの
”図形的”な
方法や要素
を習う
そうですね。
中世の世界では、
”絵画”を、
「工房」
(”ギルド”)
で
『役割分担』しながら
組織的に作って
いた
(”注文に応えていた”)
そうですから、
あまり、
「工房」や『工場』
などのような
”機械”的
(”コテコテで凝り固まった方法”)
にさせない、
”自由”な「発想」
の
方がいい?
のかも
しれませんね…。
つまり、
「書く・描くこと」
に
『正解』はない
と
言えるのかも
知れません。
おわりに
今回は、
「絵」と”字”
について
見ていきました。
皆さんも、
是非、
「絵」と”字”
を
楽しんでみて
くださいね。
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